1月 30

Thriller

Thrillerイメージ

「寝ない子はどいつじゃぁ…」
 
TV番組“探偵ナイトスクープ”が大好きで、よく観ている。様々な依頼ネタの中で、“ガオーさん”が好きな依頼ネタのひとつだ。
ママが「寝なさい!」と怒っても、寝ようとしないワガママ三昧の幼児たちが、“ガオーさん”に扮した長原成樹探偵が現れると、今までのワガママっぷりがウソのように、どの子も泣きじゃくって布団の中に入っていく。そんな痛快なネタで、いつも大笑いしている。
実はこの“ガオーさん”、変態要素が少々入っていて、よく見るとパンツ一丁で、そのパンツのお尻部分に穴が開いていたり。大人が見ると、チョット笑えるキャラクターなのだ。にもかかわらず、幼児たちの顔はトラウマになるんじゃないかと言うくらい引きつって、本気で怯えている。そこがとても可愛いくて、余計に笑えてくる。
幼少の頃の自分を振り返ってみると、、オバケに対してとても怖がっていた記憶がある。しかも、ドリフターズの“8時だよ全員集合”と言うバラエティ番組に出てくるオバケに。背後に出てきたオバケに気付かない画面の中の志村けんさんに向かって「志村、後ろ~っ!」と必死に叫んでいたような。その後、恐怖のあまり、一人でトイレに行けなかった。一緒に観ていた両親は、その姿を見て笑わってたなぁ…。
そう考えると、やっぱり幼児にしてみれば、本気で怖いんだろうね、“ガオーさん”。
 
さて、1月27日に“マイケル・ジャクソン THIS IS IT”が発売されたので、早速視聴した。もちろん彼の代表曲のひとつ“Thriller”もしっかり入っていて、ゾンビたちとのダンスは圧巻だ。そんなシーンを見ていると、何故か頭の中でふと“ガオーさん”が過ぎった。
“Thriller”のPVの中のマイケルって、少々怖いでしょ?特に最後のシーン。あの後、彼女はどうなるのだろう!?と想像すると、ちょっとゾクッとする。…そんなVTRを幼児が見れば、やっぱりこの世のものとは思えないくらい引きつった表情を見せるのかな?“ガオーさん”の場合は、現実に目の前で幼児たちを襲いかかろうとする。しかし、“Thriller”のゾンビたちはTV画面の中にいるので、恐怖感は違うのかもしれないけど。結果がどうなるか、是非見てみたいものだ。
 
因みに、幼児は“Thriller”でも泣きじゃくるかどうかについて“探偵ナイトスクープ”に依頼すれば、調査してくれるだろうか?
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1月 27

THIS IS IT -Michael Jackson

マイケル・ジャクソン"THIS IS IT"

本当に彼はもういないんでしょうか…?

2009年6月25日 午後2時26分 ロサンゼルス、マイケル・ジャクソン — 逝去。
あれからもう7ヵ月が経とうとしています。僕の中で未だ彼がどこかで生きているような気がしてなりません。これまでにも様々な有名・著名人の訃報に直面してきましたが、これほどまでに後を引きずるようなショックを受けた例はありませんでした。残念です。ふと見上げた青空に寂しさがこみ上げてきました。

僕は決してコアなファンではないのですが、後年の彼に対するあまりにも不当な扱いと誤解には胸を痛めていましたし、何よりマイケルのパフォーマンスを一度も観たことがなく彼のことを”ただの変人”としか捉えていない若い世代が増えているのはとても悲しいので、彼の歩んだ軌跡・パフォーマンスの素晴らしさ・遺した功績などについて書いてみたいと思います。始めに断っておきますが、このエントリーで触れられるのはマイケルのその伝説ともいえる人生のごく一部でしかありません。

マイケルはその栄光の陰で一般の人には想像も及ばないような様々なことで辛い思いをしてきた人でした。自身の行動やメディアに向けた発言・弁明の多くは面白半分にねじ曲げられるか前後の文脈おかまいなしに切り取られ”変人マイケル”としてスキャンダラスなイメージを造られ、あまり彼をよく知らない人々はそれを鵜呑みにし、彼を曲解してきました。成功で莫大な資産をもったばかりにそれをつけ狙われ、2003年までに実に1,500件以上2004年に至ってはたった1年で約130件という途方もない件数の金銭目的の訴訟を起こされました。その中にはマイケル・ジャクソン裁判にまで発展したあの忌々しい児童虐待疑惑も含まれています。

“何か言ったところで、正しく伝えてもらえるはずがない”。マスコミに対しそんな猜疑心しか抱けなくなってしまったマイケルは後年あまり多くを語ることはありませんでした。発言の編集される恐れのない”生”のインタビューやスピーチの機会には時折登場し自身に対する様々な憶測や噂について否定することもありましたが、それでもやはり彼に対するくだらないゴシップの数々が止むことはなかったし、彼への偏見を抱いている人たちの心も変わることがなかったのです。彼らは、マイケル本人から語られていることを信じられないと言うなら、いったい誰の言葉であれば信じそして満足できたのでしょうか。彼らが満足する瞬間は今後も訪れることはないでしょう。

もちろんマイケルが聖人だったとは言いません。時にわがままだって言ったでしょうし自暴自棄な行動を取ることも、無茶な振る舞いによって人に嫌な思いをさせたり迷惑をかけたこともあるでしょう。前妻のリサ・マリー・プレスリーも彼の自暴自棄とも言える行動の数々が”自分には彼を守れない”と離婚の決心をさせる原因になったと話しています。しかし、そうした人間なら誰しも起こし得る種類の過ちをダシに過度の不当な扱いをされる理由はどこにも無いはずですし、まして謂われのないことで糾弾されるなどもっての他です。

  • 1984年 ペプシとの大型スポンサー契約により臨んだCM撮影中に頭部に甚大な火傷を負う。その治療と賠償のため支払われた保険金推定3,000万ドルを自身を治療した病院に全額寄付。
  • 1984年 アフリカの飢餓と貧困層を解消する目的でライオネル・リッチーと供にキャンペーンソング “We Are The World” を作詞/作曲、クインシー・ジョーンズのプロデュースの下リリースし2,000万枚以上を売り上げる。関連する全ての印税収入6,300万ドルを全額寄付。
  • 1984年 飲酒運転防止キャンペーンに協力した功績を讃えられ、当時の大統領ロナルド・レーガンより感謝状の贈呈を受ける。この際大統領執務室への立ち入りを許可された特別な一人に数えられることとなった。
  • 1984年 ザ・ジャクソンズとしては最後のツアーとなったVictoryツアーの売上から500万ドルを寄付。
  • 1987~1989年 15ヵ国で123公演行い440万人を動員したBADツアーのうちアメリカ国内で行った54公演で、恵まれない子供たちのため常に400席を用意した。
  • 1992年 子供たちを救うための慈善団体 “Heal The World Foundation” を設立。ペプシをスポンサーに迎え、世界各都市でDengerousツアーを開催しその収益金を寄付。
  • 1992年 クリスマスシーズンに訪れていたボスニアの子供たちへおもちゃや文房具の詰まったギフトボックス30,000個をプレゼント。その他小児病院や子供たちを支援する団体に11万ドルの寄付を行った。
  • 1993年 スーパーボウルのハーフタイム・ショウへ、子供たちのため収益金の一部を寄付することを唯一の条件として出演。NFLはHeal The World Foundationへ10万ドルの寄付を行った。
  • 1993年 自身が手術後の鎮痛剤の中毒に苦しんだ経験から、若者たちを楽物乱用から救う運動に参加。 モスクワ、アルゼンチン、グルジアに医療物資として救急車やワクチンを供給するための活動を行った。
  • 1998年 ノーベル平和賞にノミネート。
  • 1999年 有志の友人たちと供にチャリティ・コンサートを開催。収益金を赤十字 / ユネスコ / ネルソン・マンデラ子供基金に寄付した。
  • 2000年 39もの慈善団体をサポートしたスターとしてギネスに認定される。
  • 2001年 イギリス、オックスフォード大学より「世界共通の児童権利法案を提唱する」為の講演を依頼され講演を行う。
  • 2003年 2001年のアメリカ同時多発テロにショックを受け、直後にチャリティ・シングル “What More I Can Give?” をレコーディング。プロデューサーの不祥事によりCD発売には漕ぎ着けられなかったものの、時間を経てダウンロード販売によりリリース。収益金を遺児たちのために寄付。
  • 2003年 ノーベル平和賞に再びノミネートされる。ノミネートされた人物の中にはかの法王ヨハネ・パウロ2世も含まれていた。
  • 2003年 狼瘡患者支援団体および研究機関へのチャリティーイベントに出席。
  • 2005年 ハリケーン「カトリーナ」による被害救済のためキャンペーン・ソング “I Have This Dream” をリリース。収益金を寄付。
  • 遊戯施設が併設されている自宅ネバーランドに孤児院の子供や重篤な病に苦しむ子供、その支援団体、地元の子供達等を招待し、全ての施設を無償で開放。
  • ツアーで訪れたロンドンの街で、たまたま見かけた大勢のホームレスたちの姿がいたたまれなくなり、差し入れにピザを配り歩いた。
  • ツアーで訪れるのと同じくらい、世界各国の小児病院や孤児院を慰問した。
  • 生涯寄付金額3億ドル(284億円)、一個人が行った寄付としては最多金額としてギネスに認定。
  • 匿名で行ったものを含めると寄付金額の合計は500億円とも600億円とも言われている。

これは生前マイケルがアーティストとしての活動のみならず、ライフワークのように行ってきた慈善活動の一部です。かいつまんで書き出しただけでも、これが人道支援の現場において掛け値なく大きな貢献であったことは分かるはず。アーティストとしての特別な才能のみならず、そこから得た富と名声の力を自分だけでなく他人のためにこれほど強い意志をもって使い続けてきたアーティストが他にいたでしょうか。スーパーボウルのハーフタイム・ショウでラストを飾った”Heal The World”のパフォーマンスでも垣間見ることのできる、赤ん坊を見つめる優しい眼差しや手慣れた抱き方、そうした様子を見ると子供たちを心から愛することはしても傷つけるようなまねをする人間には、僕には到底思えません。

1993年グラミー賞受賞時に実妹のジャネット・ジャクソンに紹介されて登壇した際、自らの信念についてマイケルは6分間にわたる生のスピーチを行っています。台本無しに言葉に詰まることなく「自分の言葉」で、優しくも確固とした態度で自身の想いを語るマイケル。一つ一つの言葉にかかる声のトーンには世界に向けて投げかけたお願いと言うよりももはや懇願のような響きさえ感じられ、それは世界から本気で争いを無くし子供たちに豊かさを捧げたいと願い、実際に行動に起こしていた彼の強い信念がにじみ出たものでした。もう、ただ感服するしかない思いです。このスピーチでは軽いジョークやジャネットとの仲の良さなど、マイケルの普段はなかなか見ることの出来ない一面も覗かせ、貴重なものとなりました。

私生活で常につきまとってきた負の側面を考えると、その偉大な成功と照らし合わせてみてもマイケル・ジャクソンの人生が果たして幸せだったのか、そうではなかったのか、本人がどう感じていたか今はもう知る術がありません。

しかし、(主に音楽的な面で)確執があったとされる実兄ジャーメインが葬儀でマイケルの大好きだったチャールズ・チャップリンの “スマイル” を捧げたこと、そして何よりも、マイケルの長女パリス・ジャクソンが短いながらも涙にむせびながら精一杯の気持ちを込めて行ったスピーチ

“生まれたときからずっと、みんなが想像できないくらい最高のパパでした。パパ、すっごく愛してる。”
― パリス・ジャクソン

ただそれだけで、マイケルの人生は報いのあるものだった。そのように感じています。

本日1月27日、マイケル・ジャクソンのドキュメント映画『THIS IS IT』のDVDとブルーレイディスクがリリースされます。

観終わった後、きっと自分の中で何かが終わるような気がします。
― さようなら、マイケル・ジャクソン

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